広告運用を数年続けて、個別の施策はひと通り説明できるようになった頃の話です。
検索広告の入札、除外キーワードの整理、ディスプレイのターゲティング。ひとつひとつの打ち手には、それぞれ理屈がありました。
でも、クライアントに「で、アカウント全体としては何がどう良くなっているんですか」と聞かれたとき、うまく答えられなかった。
施策のリストはある。なのに、それらがつながった「全体の絵」を言葉にできない。この、正しいことをやっているはずなのに手応えが薄い感覚が、しばらく自分の中に残っていました。
その正体を言い当ててくれたのが、楠木建さんの『ストーリーとしての競争戦略』です。30万部を超えるロングセラーで、戦略とは何かを「面白い話かどうか」という切り口で語り直した本です。
「正しいけど勝てない」の正体
本書がまず解きほぐしてくれるのが、戦略の本質は「違いをつくって、つなげる」ことだという整理です。
違いをつくるだけでは足りない。その違い同士が因果関係でつながって、初めて戦略になる。ここが自分の抜けていた部分でした。
当時の自分は、違いはつくっていたつもりでした。競合と差をつけるためのキーワード設計、独自のクリエイティブ。ひとつひとつは工夫していた。
でも、それらを「つなげる」という視点がなかった。個別最適な打ち手が並んでいるだけで、互いにどう作用し合うかを設計していなかったのです。
「正しいけど勝てない」という感覚の原因は、ここにありました。施策がリストとして正しく並んでいても、ストーリーとしてつながっていなければ、全体としての強さは生まれない。本書を読んで、その構造がようやく腑に落ちました。
「静止画」から「動画」への転換
本書のいちばんの発明は、この違いを「静止画」と「動画」という比喩で語ったところだと思います。
施策のリストは静止画です。ある時点を切り取った、打ち手の一覧。それに対して優れた戦略は動画だと、著者は言います。時間の流れの中で、ある打ち手が次の打ち手を呼び込む因果の連鎖として描かれている。
この対比は、広告運用の景色をそのまま言い当てていました。管理画面に並ぶ数字や設定は、まさに静止画の集まりです。
大事なのは、その静止画をどう動画に変えるか。「この施策が効いたから、次にこれができて、その結果ここが伸びる」という時間の流れで打ち手を並べ直す。同じ施策でも、静止画として見るか動画として見るかで、意味がまったく変わってきます。
一見「損」に見える打ち手が、全体を駆動する
本書でとくに印象に残ったのが「クリティカル・コア」という概念です。
著者はこれをサッカーのキラーパスにたとえます。その一手だけを取り出すと、なぜそこに出すのかと思うような、部分的には非合理に見えるパス。ところが試合全体の流れの中では、決定機を生む深い合理性を持っている。
戦略におけるクリティカル・コアも同じだと言います。部分だけ見れば損に見える打ち手が、全体のストーリーの中では合理的で、しかも競合が模倣しにくい。なぜ模倣しにくいかといえば、単体で真似ると本当に損になってしまうからです。
広告運用に引きつけて考えると、示唆はいくつもあります。目先のCPAだけを見れば非効率に見える投資も、全体のストーリーの中に位置づければ意味が変わる。全体のストーリーがなければ、そうした打ち手はただの無駄遣いに見えてしまいます。
逆に言えば、ストーリーを描けているかどうかが、その一手を「損」で終わらせるか「効く一手」に変えるかの分かれ目になる。ここは、あくまで本書の枠組みを自分の実務に当てはめた解釈です。
戦略を「語れる」ことの、実務的な価値
本書を読んで、月次レポートの説明の仕方を変えました。
それまでは、各施策の数字を並列に並べていました。検索広告のCPAはこう、ディスプレイのCVはこう、という報告です。数字は正確でも、そこに流れはありませんでした。
読後は、因果関係で語る形に変えました。「検索広告でCPAを抑えたことで予算をディスプレイに再配分でき、認知接点が増えた結果、指名検索が伸びてリスティング全体の効率がさらに上がった」というように、打ち手のつながりで説明する。
数字は同じです。でも、静止画の羅列から一本の動画になったことで、伝わり方が変わりました。
本書は、優れた戦略の品質基準を「思わず人に話したくなるような面白い話」になっているかどうかだと言います。この基準は、そのままレポートにも使えると感じています。
厚いけれど読める。その理由もまた「ストーリー」
500ページ近い分厚い本です。それでも読み進められるのは、本書自体がひとつのストーリーとして書かれているからだと思います。
概念の説明が、具体的な企業のエピソードと因果でつながっていく。だから次が気になって、ページをめくる手が止まりにくい。
戦略を「面白い話」として語るべきだと主張する本が、それ自体を面白い話として成立させている。この一致が、本書の説得力を支えているように感じました。
誰に読んでほしいか
この本を強くすすめたいのは、運用歴3年以上の広告運用者やマーケターです。
施策のスキルはひと通り身についた。個別の打ち手は説明できる。それなのに、提案の質が上がった実感が持てない。数年前の自分がまさにそうでした。
その停滞の理由は、施策の巧拙ではなく、それらをストーリーとしてつなげて全体を語る力が足りていないことかもしれません。個別施策の先にある、その一段が、次に越える壁だと感じています。
まとめ
施策のリストは、静止画です。それを因果でつなげて動画にすること。本書が教えてくれたのは、この一点に尽きます。
違いをつくって、つなげる。一見損に見える一手も、全体のストーリーの中でこそ意味を持つ。そして、その戦略が思わず人に話したくなる面白い話になっているか。
個別の施策を磨くフェーズを終えたなら、次は全体を語る力です。数字を並べる報告から、流れを語る報告へ。自分にとってこの本は、その転換のきっかけになりました。