数年前まで、提案書をつくるたびに「これも入れておこう」と考えていました。
根拠となるデータ、想定される反論への回答、補足の補足。情報を増やすほど、提案は強くなると信じていました。インプットを増やすことが正解だと思っていたのです。
でも振り返ると、通った提案には必ず「一行で語れるフレーズ」がありました。逆に、通らなかった提案は「正しいことを丁寧に並べただけ」でした。
その違いの正体を言葉にしてくれたのが、アートディレクター秋山具義さんの「こうやって、センスは生まれる」です。
この本の中心にあるのは、シンプルな主張です。センスの本質は「足す力」ではなく「削る力」だと、著者は書いています。
足すほど、伝わらなくなる
情報は、伝わるたびに削られていきます。
著者はこれを伝言ゲームの構造にたとえています。人から人へ渡るうちに、細部は落ち、印象だけが残る。だからこそ「記憶に残る一文」を持てるかどうかが重要になる、という主張です。
この指摘は、広告運用の現場感覚とよく重なります。
かつての自分は、完璧に仕上げたつもりのものほど「よくできてるね」で終わっていました。丁寧なのに、次の行動につながらない。情報を足すほど、肝心の一点がぼやけていたのだと思います。
「半歩先」という距離
本書のもうひとつの軸が「半歩先」という考え方です。
世の中の「普通」をよく知ったうえで、そこからのちょうどよいズレを捉える。それが半歩先だと、著者は説明しています。一歩先まで行くと、受け手には届かなくなるという指摘です。
この感覚は、バナーやコピーの制作でも実感するところがあります。
奇抜すぎる表現は目を引いても、意味が伝わらず素通りされます。かといって定番どおりでは記憶に残りません。届くのは、見慣れた景色の中に置かれた小さな違和感のほうです。
著者はこの半歩先を掴むために、知覚から表現までの3つのステップを挙げています。
はじめに普通を知覚し、そこから半歩のズレへ組み替え、最後に一つの表現へ絞る。足すのではなく、絞るための順序だと読めます。
完成より「未完成の余地」
本書には、完璧さよりも「引っかかる構成」を大事にする、という視点もあります。
すべてを説明しきった完成品よりも、少し余地を残したもののほうが、受け手の想像力を引き出すという主張です。これを著者は「未完成の余地」と呼んでいます。
思い当たることがあります。
かつて自分が「これで完璧」と仕上げた提案ほど、相手は感心はしても動きませんでした。すべて答えが書いてあると、受け手の考える余白がなくなるのだと思います。
一方で、社内の温度が動いたのは、削って一つだけ残した言葉のときでした。「この施策で社内の温度が3度変わります」のような、一点に絞ったフレーズです。
「見る」を「観る」に変える
では、削る力はどう育てるのか。
本書が挙げるのは「違和感ジャーナリング」という習慣です。日常の小さな観察を書き留め、世の中の普通と半歩先の差を認識していく。ただ「見る」を、意識して「観る」に変える取り組みです。
派手さのない地道な習慣ですが、ここに一貫した思想を感じます。
センスとは、どこかから急に降ってくるものではありません。普通を観る癖の積み重ねから、少しずつ立ち上がってくるもの、という捉え方です。
広告運用でも、日々の管理画面や街のクリエイティブを、意味を持って観るかどうかで見えるものは変わります。同じ景色を眺めていても、引き出せる気づきの量が違ってきます。
足すのをやめたら
この本を読んで以来、提案書で「これも入れよう」と思った瞬間に、いったん立ち止まるようになりました。
その一項目は、記憶に残る一行を助けるのか。それとも、肝心の一点をぼかすのか。足すか削るかを、その都度考えるようになったのです。
読みながら、センスとは整える力ではなく「残す勇気」なのだと受け取りました。何を削るかを決めることは、何を信じるかを決めることでもあります。だから怖い。その怖さこそ、避けて通れないものなのだと思います。
本書の結論も、そこに重なります。「センスがない」という悩みそのものが、センスの入り口だという指摘です。足りないのは情報量ではなく、目の前のものを異なる角度から見る癖のほうだと。
センスを高めようと情報を足すより、削る怖さに慣れること。
情報を増やし続けていた頃の自分に、まず渡したい一冊です。