管理画面を開いて、予算配分を決める。ターゲットを設定し、クリエイティブを選び、入札を調整する。
これが自分の日常でした。ただ、その一つひとつの判断の根拠を問われると、答えは決まって二つに絞られます。「過去の実績」か、「経験上の肌感」か。
うまくいけば判断の質のおかげだと思い、外れれば市場環境のせいにする。戦略そのものが間違っている可能性には、正直なところ目を向けていませんでした。
CPAやROASの改善には人一倍注力していたつもりです。それでも、事業全体への投資インパクトを問われると、胸を張れない。その居心地の悪さの正体を言い当ててくれたのが、ケヴィン・クランシーとピーター・クリーグの「なぜあなたのマーケティングは『博打』になるのか」でした。
原題は “Your Gut Is Still Not Smarter Than Your Head”。訳すなら「あなたの直感は、まだあなたの頭脳より賢くない」です。この一文が、本書の主張のすべてを表しています。
「改善している」のに、投資インパクトを語れない
本書がまず突きつけてくるのは、マーケティングのROIを測ることの難しさです。
本書によれば、MMA社の調査では、500以上のプログラムのうち84%がプラスのROIに達していなかったといいます。一般消費財の広告投資は、1ドルあたり平均54セントしか回収できていない。投じた額の半分ほどしか戻っていない計算です。
象徴的な例として、アンハイザー・ブッシュが挙げられています。5億5000万ドルを投じて、得られた売上の伸びは1%だったと本書は記しています。広告費を増やしても、売上がそれに見合って動くとは限らない。この現実が、冒頭から示されます。
ここで著者が指摘するのは、測定なき「改善」という矛盾です。多くの現場は、何をもって成功とするかを定めないまま、日々の数字を追いかけている。測定ツールを導入するだけでは足りません。本書はそれを、「体温計と解熱剤で立ち向かうようなもの」と表現します。
熱があることは分かる。下げる薬もある。それでも、なぜ熱が出ているのかという原因には、手が届いていない。自分の運用も、まさにこの状態でした。
使用機会という、ターゲティングの視点
本書が示す打開策のひとつが、「使用機会(オケージョン)」という考え方です。
同じ人でも、使う場面が変わればニーズは変わる。この当たり前の事実を、ターゲティングの起点に据える視点です。属性で人を区切るのではなく、その人がいつ、どんな状況で商品を選ぶのかを見る。
本書はファストフードを例に挙げます。ひとつのファストフードにも、最低10種類の使用場面があるといいます。急いでいる朝なのか、子どもと過ごす休日なのか。場所や気分、時間帯によって、選ばれる商品は変わっていく。
運用型広告に置き換えると、示唆は明快です。「30代女性」という括りで配信を組んでも、その人が平日の昼に何を求め、週末の夜に何を求めるかは別物です。誰に届けるかだけでなく、どの場面に届けるか。そこまで踏み込んで初めて、ターゲティングは戦略になります。
収益性の高いターゲットには、特性がある
では、狙うべき相手はどう見極めるのか。本書は「収益性の高いターゲットの12特性」という枠組みを提示します。
好みや印象で選ぶのではなく、複数の観点から候補を吟味するための物差しです。代表的なものを並べると、判断の解像度が一段上がります。
意思決定力や関与度は、その相手が本当に動くかを見る観点です。LTVや成長ポテンシャルは、獲得後にどれだけ返ってくるかを見る。識別可能性やメディア接触コストは、そもそも届けられるのかという実行面を見ます。
CPAが低いという理由だけでセグメントを選んでいた自分には、耳の痛い枠組みでした。安く獲れる相手が、事業にとって価値のある相手とは限らない。その区別を、この12の観点は迫ってきます。
マーケティング・パフォーマンス監査という習慣
もうひとつ、本書が勧めるのが「マーケティング・パフォーマンス監査」です。
これは、施策の状態を定点で測り続ける仕組みです。認知度、親しみ度、購入意欲、満足度、推薦意向など、およそ10の指標で定期的に評価する。CPAやROASのような結果指標の手前で、何が起きているかを捉えます。
管理画面の数字は、いわば結果の結果です。その手前の生活者の心の動きを測っておかなければ、なぜ数字が動いたのかは分からない。監査は、その空白を埋めるための地道な取り組みです。
派手さはありません。それでも、定点で見る指標を持つだけで、単発の数字に一喜一憂することは確かに減ります。
「博打」から抜け出す、最初の一歩
本書を読んで一番刺さったのは、「データがある」ことと「データに基づいて判断できている」ことの間には、深い溝があるという指摘でした。
管理画面には数字があふれています。ただ、その数字を根拠に判断できているかは、まったく別の話です。ファクトベースのマーケティングに必要なのは、特殊なツールではなく、判断の根拠を問い直す習慣だと本書は説きます。
自分に向けて、三つの問いを立ててみました。ターゲットを選んだ理由を、言葉にできるか。いまの効果測定は、施策の良し悪しを本当に判別できているか。戦略レベルの見直しを、どのくらいの頻度でやっているか。
自動化が進む時代でも、この問いは古びません。本書の言葉を借りれば、「何を目的とし、誰をターゲットとし、どの指標で成否を判断するかという戦略の骨格は、AIが代わりに決めてくれない」。機械が最適化してくれるのは、あくまで人間が定めた枠の中だけです。
原題の「あなたの直感は、まだあなたの頭脳より賢くない」は、直感を否定する言葉ではないと受け取りました。直感を、根拠で裏づけて磨いていく。その順番を取り違えるなという戒めです。
博打から抜け出す第一歩は、自分たちのマーケティングが博打になっていることに気づくことです。少なくとも自分は、この本を読むまで、それが博打だとすら思っていませんでした。