あるクライアントとの定例会での話です。CPAの推移やROASの分解なら、いくらでも話せました。管理画面の数字を根拠に、次の打ち手まで滑らかに説明できる。
ところが、話題が「うちのブランドをどう育てるか」に移った瞬間、言葉に詰まりました。
数字の外側にある問いに、自分は何も持っていなかった。そのことに気づかせてくれたのが、片山義丈さんの『実務家ブランド論』です。
著者はダイキン工業で33年、ブランド構築に携わってきた実務家です。ルームエアコンを業界5位からトップへ押し上げ、「ぴちょんくん」のブームにも関わった方だと紹介されています。
この本を読んでから、検索広告のタイトルやバナーの見え方が、はっきり変わりました。
そもそもブランドの定義が、社内でバラバラだった
言葉に詰まった原因を振り返ると、そもそも「ブランドとは何か」を自分が定義できていませんでした。
これは自分だけの問題ではなかったようです。社内で「ブランド」という言葉を使うと、人によって指すものが違う。ロゴの統一の話をする人がいて、広告の世界観の話をする人がいて、企業理念の話をする人もいる。
同じ単語を使いながら、全員が別のものを見ていた。議論が噛み合わないのは、当然でした。
本書はここに、ひとつの明快な定義を置きます。ブランドとは「生活者の頭の中にある勝手なイメージ、つまり妄想」だと整理されています。
企業がどれだけ立派な理念を掲げても、生活者の頭の中にイメージがなければ、ブランドは存在しない。この一文で、自分の中の霧が晴れる感覚がありました。
目指すのは「なんとなく好き」という現実的な地点
本書では、ブランドが生活者の中で育つ過程が、5つの段階として整理されています。
段階は「知らない」から始まり、「知っている」「嫌いではない」「なんとなく好き」を経て、最上位の「約束・絆・大好き」へ至ります。
ここで本書が現実的なのは、大多数の企業は「凡人ブランド」だと言い切っている点です。誰もが最上位を目指せるわけではない。
凡人ブランドが目指すべきは「なんとなく好き」の地点だと整理されています。この割り切りは、限られた広告費で戦う現場の感覚に、とてもよく馴染みました。
ブランドの土台を支える3つの要素
では、そのイメージを何から組み立てるのか。本書では、ブランドの土台が3つの要素で整理されています。
| 要素 | 意味 |
|---|---|
| 存在価値(アイデンティティ) | 自社の本質そのもの |
| 約束(プロミス) | 本質を生活者の言葉へ翻訳したもの |
| 人格・個性(パーソナリティ) | ブランドがまとう性格や個性 |
存在価値は、企業の内側にある本質です。ただ、それをそのまま語っても生活者には届きません。だから「約束」という形で、生活者の言葉に翻訳する必要がある。
そして「人格」が、そのブランドらしさを形づくります。この3つを分けて考えると、社内でバラバラだった議論が、同じ土俵に乗るように感じました。
ロゴの統一も、広告の世界観も、企業理念も、どれかが正解なのではなく、それぞれ別の層の話だったわけです。
「妄想=情報×接点×貯金箱」という方程式
本書でいちばん腑に落ちたのが、ブランド構築を表した方程式です。
ブランドという妄想は、「情報×接点×貯金箱」で組み上がると整理されています。接点ごとの小さな蓄積が、貯金のように貯まっていく。
この「貯金箱」という言葉が、運用者としての自分に刺さりました。検索広告のタイトル、ディスプレイのバナー、動画の冒頭3秒。これらはすべて、生活者が触れる「接点」です。
つまり、日々運用している広告のひとつひとつが、妄想の素材を置く場だった。そう捉え直すと、クリエイティブの一行が、急に重く感じられました。
CTRを追ううちに、ブランドを壊す側に回っていないか
ここで、ひやりとした自分の実感があります。
CTRを上げたい一心で、実態から少し離れた訴求を使ってしまうことがあります。数字は良くなる。でも、それは生活者の頭の中に、少しずつ違うイメージを積んでいく行為でもあります。
貯金箱に、本来入れたくないものを入れている。CTRという短期の指標を追ううちに、知らないうちにブランドを壊す側に回っていた可能性があります。
読み終えたとき、自分のメモにはこう書き残しました。
パフォーマンスとブランドは対立するものではないけれど、運用者がこの視点を持たないと、知らないうちにブランドを壊す側に回ってしまう。
対立しない。ただし、視点を持たなければ両立もしない。ここは事実として、運用者が引き受けるべき前提だと感じます。
予算30万円のアカウントに、フルファネルを求められたとき
もうひとつ思い出したのが、月30万円ほどのアカウントで、グローバル企業のようなフルファネル戦略を求められた場面です。
当時は「その規模で全部は無理です」としか返せませんでした。相手の期待と、自分の現実的な打ち手が噛み合わない。
いま思えば、あれはブランドの5段階でいう、目指す地点のすり合わせが抜けていたのだと思います。凡人ブランドとして「なんとなく好き」を狙うのか、それ以上を狙うのか。
その前提を共有できていれば、限られた広告費でも、どの接点に貯金を積むかという建設的な話に持っていけたはずです。これは本書を読んだ後の、自分の解釈です。
数字の外側の言葉を、運用者が持つために
本書は、従来のブランド理論と自分の仕事の接点が見つからない人に向けた入門書だと位置づけられています。広告運用の経験があり、クライアントの事業を全社的な視点で理解したい人には、特に橋渡しになる一冊です。
なお、BtoBやSaaSの文脈では、書かれている内容を自分の商材へ読み替える必要があります。そこは読み手側の宿題として残ります。
それでも、CPAは語れるのにブランドで黙り込んだあの日の自分に、この本を渡したい気持ちは変わりません。
ブランドとは、生活者の頭の中にある妄想である。その妄想を、日々の接点でどう積み上げるか。運用者が数字の外側の言葉を持てるかどうかで、クライアントとの会話の深さは大きく変わります。