あるとき、来期のマーケティング方針をまとめたドキュメントを読む機会があった。
ブログの更新頻度、SNSの運用方針、セミナーの企画方針、KPIの数値目標。どれも丁寧に書かれていて、やるべきことの整理としてはしっかりしている。でも読み終わったあと、何かが足りないという感覚がずっと残った。
しばらく考えて、気づいた。そのドキュメントには「誰に届けるのか」が一行も書かれていなかった。
「何をやるか」は語れるのに「誰に届けるか」が出てこない
これは珍しい話ではない。むしろ、多くの企画書や事業計画が同じ構造を持っていると思う。
「ブログを月に何本出すか」「SNSはどのプラットフォームを使うか」「セミナーのテーマをどう決めるか」「メルマガの配信頻度はどうするか」。施策の話はいくらでも出てくる。でも、それを受け取る側の人物像や、その人が今何に困っていて、何を探しているのか、という話にはなかなかたどり着かない。
なぜか。おそらく、施策の議論のほうが具体的で、手を動かしている実感があるからだ。「ブログを週2本出す」と決めれば、明日からやることが見える。一方、「ターゲットは誰で、どんな課題を抱えているのか」を言語化する作業は、答えがすぐには出ないし、合意を取るのにも時間がかかる。
結果として、走り出しやすい施策の話が先に固まり、届ける相手の話は「なんとなく分かっているつもり」のまま後回しになる。
「いいコンテンツを出していれば届く」の落とし穴
この問題の根っこには、もうひとつ見落としがちな前提がある。「質の高いものを出し続ければ、自然と届くべき人に届く」という信念だ。
たしかに、内容が優れていれば結果的に広まることはある。でも「質が高い」の定義が、作り手と受け手でズレていることが多い。
作り手にとっての質は、正確さ、網羅性、論理の整合性かもしれない。でも受け手にとっての質は、「自分の困りごとが解決するかどうか」だ。もっと言えば、「この人は自分の状況を分かっている」と感じられるかどうか。
たとえば、あるソフトウェア会社が、技術的に非常に精緻なブログを毎週出していたとする。開発者からの評判はいい。でも導入の意思決定者である現場の管理職にはほとんど読まれていなかった。なぜなら、技術仕様の解説ばかりで、「導入したら現場がどう変わるのか」が書かれていなかったからだ。
書き手が「質を高めよう」と努力するほど専門性が前に出て、読み手が置いていかれる。よくある話だと思う。
届ける相手が決まると、全部が変わる
逆に、「誰に届けるのか」が明確になると、それだけで施策の輪郭が変わってくる。
ブログなら、何を書くかではなく、「この人がどんな言葉で検索して、何を知りたくてたどり着くのか」から考えることになる。セミナーなら、自分たちが話したいテーマではなく、「この人が今まさに悩んでいて、解決策を探している課題」から企画が始まる。SNSなら、フォロワー数ではなく、「届けたい相手がそのプラットフォームにいるのかどうか」がまず問われる。
KPIも変わる。PVやフォロワー数のような活動指標ではなく、「届けたい人にどれだけリーチできたか」「リーチした人のうち、どれだけが次のステップに進んだか」という形で指標を設計できるようになる。
測定の手間はかかる。でも、施策の効果を正しく判断するには、こうした指標が必要だ。そして、この指標設計は「誰に届けたいか」が決まっていないと作れない。
施策の議論が盛り上がるほど、目的が遠ざかる
もう少し掘り下げると、この問題はマーケティングに限った話ではない。
新規事業の企画会議で、機能やUIの話ばかりが盛り上がって、「そもそも誰のどんな不便を解決するのか」が曖昧なまま進んでしまう。採用の施策を考えるとき、求人媒体の選定やスカウト文面の改善に時間を使う一方で、「自社が本当に欲しい人材はどんな人で、その人は今どこにいるのか」が議論されない。社内研修の企画で、講師のアサインやカリキュラム設計が先に決まって、受講者が何に困っているのかのヒアリングが後回しになる。
どれも、手段の議論のほうが具体的で進めやすいから起きる。「誰のために」という問いは抽象的で、答えを出すのに時間がかかる。だから、つい後回しにして、動きやすい「何をやるか」から着手してしまう。
でも、届ける相手が定まっていない施策は、どれだけ丁寧に設計しても「なんとなくよさそうだからやる」の域を出ない。リソースが潤沢なら試行錯誤で当たりを引けるかもしれないが、限られた人数と予算で成果を出そうとするなら、最初に「誰に」を決めることが、結局いちばん効率がいい。
順番を変えるだけでいい
やることを変える必要はない。順番を変えるだけでいい。
施策を考え始める前に、一つだけ問いを立てる。「これは、誰の、どんな課題を解決するためにやるのか」。
この問いに対して、固有名詞レベルで答えられるなら、施策の設計はうまくいく。「30代後半の事業会社のマーケティング担当で、広告運用を外注するか内製化するかで迷っている人」くらいの解像度があれば、何を書くか、どこで届けるか、どんなトーンで話すかは自然と見えてくる。
「ビジネスパーソン全般」や「マーケティングに興味がある人」のままだと、施策がぼやける。全員に届けようとするコンテンツは、結局、誰にも届かない。
冒頭のドキュメントの話に戻ると、施策の中身はちゃんとしていた。KPIの数値も現実的だったし、やることの整理も行き届いていた。ただ、「誰に届けるか」がなかっただけで、すべての施策が「やる意味はありそうだけど、なぜ今これなのか分からない」という印象になっていた。
自分の企画書やプレゼン資料を開いたとき、「誰に届けるか」が最初の3行以内に書かれているかどうか。それだけを確認するだけで、施策の精度はかなり変わるはずだ。