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広告運用に詳しくない上司が、クライアントにいちばん信頼されていた話

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新卒で入った会社の上司は、広告の管理画面にあまり興味がない人だった。いや、興味はなくないんだろうけど、Google広告の機能がどうとか、仕組みがなんだという話をした記憶が一切ない。

数字は見ていた。CPAやROAS、予算の進み具合くらいは把握していたと思う。ただ、その先がなかった。媒体の細かい仕様や新機能、ターゲティングの設定項目、入札戦略の違い。そういった「広告運用者なら当然キャッチアップしているはず」の領域に、上司はほとんど関心を示さなかった。

年次でいえば自分の4つか5つ上。当時20代後半くらいで、会社の中ではいちばん若いマネージャーだった(たぶん)。歓迎会で「私、媒体の新機能とか全然追えてないんだよね」と笑っていた。悪びれもせずに。余談だけど、当時の自分は上司の見た目にも勝手な偏見を抱いていて、それが不安を加速させていた。

ただし、経験値は別格だった。

もともと叩き上げの営業畑の人で、誰もが知っている大手ナショナルクライアントの案件を受け持っていたそうだ。予算の桁が違う。関わるステークホルダーの数も違う。一つの判断ミスが及ぼす影響の大きさが、自分が触っている案件とは比べものにならない環境にいた人だった。

しかも、社長と一緒に案件を動かしていた時期がある。その会社の社長は、広告運用者として日本でも指折りと言われている人だった。その人の隣で仕事をしていたという事実の重みは、当時の自分にはわからなかった。

新卒の自分は、それでも内心で見下していたと思う。媒体のヘルプページを読み込んで、最新のアップデート情報をキャッチアップして、ベータ版の新機能を試して。それこそが広告運用者の仕事だと信じていたから、上司の「追えてない」が怠慢に見えていた。僕のメンターだった方は、広告運用のスキルに長けていて、媒体の仕様にも詳しく成果も出せるタイプのひとだったので、なおさらだ。

今ならわかる。大きな予算の案件で場数を踏み、一流の運用者の判断基準を間近で吸収してきた人が、媒体の仕様を知らないくらいで仕事ができないわけがなかった。

クライアントの「大丈夫です」を、額面通りに受け取っていた自分

定例会議で施策の報告をしたあと、クライアントの担当者に「このまま進めて大丈夫ですか?」と聞いた。「大丈夫です、お任せします」と返ってきた。

自分は安心して、議事録に「先方OK、このまま進行」と書いた。

翌週、上司がそのクライアントに電話をかけていた。受話器を置いたあと、自分のほうを向いて言った。「あの案件、先方ちょっと不安に思ってるみたいだよ。来週の定例までに補足資料出しておいたほうがいい」

聞けば、定例のあとに担当者から上司に「ちょっと聞きたいことがあって」と個別に連絡が来ていたらしい。自分の前では「大丈夫です」と言っていた人が、上司には本音を漏らしていた。

悔しかった。でもそれ以上に怖かった。「大丈夫です」を信じて走り続けていたら、ある日突然「やっぱり他社に相談します」と言われていたかもしれない。

クライアントの「大丈夫です」は、大丈夫じゃないことがある。言葉ではなく、表情や声のトーン、会議中のメモの量、質問の減り方。そういうものから本当の温度感を読む必要がある。自分にはそれがまるでできていなかった。

上司にはできていた。たぶん、大きな会議室で、発言の裏にある社内力学を読み続けてきた経験が、この精度を作っていた。

「来週の定例、私も出るね」

別の案件で、上司が突然「来週の定例、私も出るね」と言い出したことがある。

その案件は順調だった。CPAは目標を下回っているし、月次の予算の進み具合も問題ない。レポートの数字だけ見れば、上司がわざわざ出る理由はどこにもない。

「何かあるんですか?」と聞いたら、「ううん、なんとなく」とだけ返ってきた。

翌週、そのクライアントから予算縮小の連絡が来た。本社の方針転換で、広告費を見直すことになったという。

あとで上司に聞いた。「あれ、なんでわかったんですか」

「わかってたわけじゃないよ。ただ先月の請求書を経理に回したとき、先方の入金が少し遅れてたんだよね。あと、前回の定例で担当者さんが上長のCCを外してたの。それだけ」

入金のタイミング。メールのCC構成。どちらも管理画面には出てこない情報だ。予算規模が大きい案件ほど、社内政治や決裁ルートの変化が直接数字に跳ねる。上司はその肌感覚を、過去の場数で身につけていた。

トラブルの「1週間前」に動く人

この上司と働いていて、いちばん不思議だったのは、トラブルが起きる前に動いていることだった。

ある案件で、クライアント側の担当者が異動になった。後任の方との初回ミーティングの翌日、上司が「この案件、KPIの握り直しを早めにやったほうがいいと思う」と言ってきた。

後任の方は前任と同じ方針で進めると言っていたし、自分は特に違和感を覚えなかった。でも上司は「さっきのミーティング、後任の方がCPAの話をしてるとき、一回もメモを取ってなかったの気づいた? たぶんCPAじゃなくて別の指標で見たい人だと思う」と言った。

翌月、案の定その通りになった。後任の担当者は「CPAよりもリード数を重視したい」と切り出してきた。上司の読みで先に準備していたから、すぐに対応案を出せた。もし何もしていなかったら「前任と話が違う」とバタついていたはずだ。

別の案件では、掲載しているクリエイティブのCTRがまだ大きく落ちていない段階で「そろそろ次の素材を準備しておいたほうがいい」とデザイナーに声をかけていた。数字上はまだ回っている。でも上司は「クリエイティブの反応が落ちるのって、数字に出たときにはもう手遅れなんだよね」と言っていた。

こういうことが、月に何度もあった。しかも、それが当たる。

上司は数字を見ていなかったわけじゃない。ただ、数字の読み方が自分とは違っていた。自分がCPAやCTRの増減を追っているとき、上司は人の動きや関係性の温度から状況を読んでいた。媒体の仕様に詳しくないぶん、設定をいじって解決する発想がない。だから自然と、人のほうから先に手を打つ癖がついていた。

「報告書はあとでいいから、まず電話して」

入社半年くらいのとき、配信設定でミスをした。本来止めるべきキャンペーンが週末の間ずっと回っていた。月曜の朝に気づいて、血の気が引いた。

まず影響範囲を調べた。スクリーンショットを撮って、原因を特定して、再発防止策まで書いた。完璧な報告書を作ろうとしていた。

上司が出社してきて、自分の顔を見た瞬間に「どうした?」と聞いてきた。顔に出ていたらしい。状況を伝えたら、上司はカバンを置く前に言った。

「報告書はあとでいいから、まず電話して。メールじゃなくて、声で」

正直、電話は怖かった。まだ全容を把握しきれていないのに電話したら、質問に答えられない。そう言ったら、上司はいつもの柔らかい口調のまま、でもはっきり言った。

「全部わかってから連絡するのは、こっちの都合でしょ。先方は今この瞬間、何も知らないまま月曜を過ごしてるんだよ」

迷う前に受話器を取る。考えてからでは遅い。上司はそれを「すべきこと」ではなく、もう身体が勝手にそう動く人だった。大きな案件でトラブルを経験してきた人の反射神経は、自分のように頭で理解して真似できるものではなかった。

あの月曜の朝の空気は、今でも覚えている。血の気が引いた自分の横で、上司が迷いなく「まず電話して」と言ったあの瞬間。広告運用のスキルとは何か、という自分の定義が書き換わった朝だった。

気づいたら終わっている仕事

上司にはもうひとつ、どうしても真似できないことがあった。

チームの誰かが残業していると、何も言わずに隣に座って自分の仕事を始めていた。「手伝おうか」とすら言わない。ただそこにいて、しばらくしてから「これ、私がやっとくから先帰りな」とだけ言う。

誰かのタスクが溢れそうになると、本人が相談する前に、手が空いているメンバーにさりげなく仕事を振っていた。振られた側も、なぜか嫌な顔をしない。頼み方がうまいのか、日ごろの関係性が効いているのか、たぶん両方だった。

頼まれる前に動く。聞かれる前に察する。考える前に体が動いている。

自分は今でも「言ってくれればやりますよ」と思ってしまうことがある。この「言ってくれれば」の時点で、もう一手遅いのだと、あの上司を見ていて痛いほどわかっているのに。

広告運用が「できる」ことと、「任される」ことの違い

広告運用は、免許がいる仕事ではない。管理画面の使い方を覚えれば、誰でも今日から始められる。媒体の知識を積めば、それなりに成果も出せる。(もちろん、知識はあるに越したことはない)

でも「この人に任せたい」と思ってもらえるかどうかは、まったく別の話だ。

あの頃の自分に足りなかったのは、媒体の知識ではなかった。クライアントの「大丈夫です」の裏を読む力。トラブルが数字に出る前に人の変化から予兆を拾う力。そして、考える前にまず電話を取る反射。

どれもヘルプページには載っていない。研修でも教わらない。現場で人と向き合い、失敗し、冷や汗をかき、少しずつ「見えるもの」が増えていく。そうやってしか手に入らないものだった。

自分はあれから何年も経って、媒体の知識はそれなりに積み上がった。あの頃の上司よりは確実にプラットフォームの仕様を把握している。でも「なんとなく定例に出る」あの感覚には、いまだに追いつけていない。

広告運用ができるようになることと、任されるようになること。その間にある距離を、自分はまだ詰めている途中だと思う。

あの上司に、ちゃんとお礼を言ったことがあっただろうか。たぶん、ない。

広告運用を教わったのは媒体のヘルプページからだけど、広告運用者としての仕事、クライアントワークの基本を教わったのは、あの上司からです。

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