先日、社内のSlackで若手の運用者からこんな質問が飛んできました。「P-MAXと検索キャンペーン、このアカウントだとどっちが正解ですか?」。
無理もないと思います。広告費というリアルなお金を預かっている以上、間違いたくない。失敗したくない。だから正解を知りたい。至極まっとうな感覚です。
でも、僕はこの「正解を探す」という姿勢そのものが、成長のブレーキになっている場面を何度も見てきました。
正解を教えてもらった人は、正解が変わったときに動けない
たとえば、「このアカウントならP-MAXから始めるといいよ」と先輩に教えてもらったとします。その通りにやったら、実際にうまくいった。本人は満足するし、先輩も頼られて悪い気はしない。
問題は、その「正解」が通用しなくなったときです。
競合が増えた。オークション環境が変わった。媒体のアルゴリズムがアップデートされた。広告運用ではこうした変化が日常的に起きます。昨日の正解が今日の正解である保証はどこにもない。
教えてもらった正解しか持っていない人は、ここで止まってしまう。「前はこれでうまくいったのに」と過去の成功体験にしがみつくか、また誰かに新しい正解を聞きに行くか。どちらにしても、自分で状況を読み解いて次の手を打つ力は育っていないわけです。
正解はない。でも、不正解はかなり明確にある
「広告運用に正解はない」。この言葉はよく聞きますし、僕もそう考えています。ただ、ここで話を終わらせてしまうのはもったいない。正解がないからといって、何をやっても同じかといえば、それは違います。
実は、「やったらほぼ確実に悪化する」という不正解は、かなりはっきりしています。
コンバージョンデータが十分にたまる前にキャンペーンを止めてしまう。アカウント構造をむやみに細分化して、機械学習のシグナルを分散させる。クライアントのビジネスモデルを理解しないまま、CPA最適化だけに走って肝心のLTV(顧客生涯価値)を見落とす。こうした「やってはいけないこと」は、経験を積んだ運用者なら共通認識として持っているはずです。
正解を探すことに時間を使うより、不正解を一つずつ潰していくほうが、判断の打率は着実に上がっていく。正解は状況によって変わるけれど、不正解はかなりの程度、一般化できる。この非対称性に気づけるかどうかが、運用者としての分かれ目だと感じています。
「なぜそう判断したか」を説明できるかどうか
もうひとつ、正解を探す姿勢と対になる話をしたいのですが、僕が運用者の力量を見るときに気にしているのは、「結果」よりも「判断の説明」です。
たとえば、検索広告で部分一致を中心に配信して、CPAが目標内に収まったとします。結果だけ見れば成功です。でも、「なぜ部分一致にしたのか」「どんなリスクを想定していたのか」「もし結果が悪かったら次に何をするつもりだったのか」。これらを自分の言葉で説明できる人と、「ネットで調べたら部分一致がいいって書いてあったので」という人では、同じ結果でも中身がまったく違います。
前者は、自分なりの判断プロセスを持っている。「このアカウントはコンバージョン数が月50件以上あるから学習が回りやすい。だから部分一致で間口を広げても、自動入札が最適化してくれる可能性が高い。ただし、検索語句レポートは週次で確認して、意図しないクエリが増えたら除外で対応する」。こういう筋道があるかどうか。
結果は外部環境にも左右される。でも判断のプロセスは自分の実力です。そしてプロセスを言語化できる人は、うまくいかなかったときに「どこの読みがズレていたのか」と振り返ることができる。正解を借りてきた人は、「正解のはずなのに、おかしい」で止まってしまう。この差は、半年、一年と経つうちに目に見えて開いていきます。
クライアントは「正解」を求めてくる。そのときどうするか
自分の中で「正解はない」と腹落ちできたとしても、次にぶつかる壁があります。クライアントとの関係です。
「正解はありません」と言って納得するクライアントは、まずいません。お金を出している以上、「で、どうすればいいの?」と聞かれるのは当然です。
僕たちの仕事は「正解はないんです」と開き直ることではなく、正解がない中でクライアントと一緒に判断の地図を描くことだと考えています。
具体的にはこういうことです。「AとBの選択肢があります。Aはリスクが低いけれど伸びしろも限定的。Bはうまくいけば大きくスケールするけれど、最初の2週間はCPAが不安定になる可能性がある。御社の今の状況を踏まえると、僕はBを試したい。ただし、こういう数字が出たら撤退します」。
正解を提示するのではなく、選択肢とそれぞれのリスクを説明し、撤退ラインを事前に決め、一緒に意思決定する。この進め方ができると、結果が良くても悪くても「あのとき一緒に決めた」という土台がある。クライアントとの信頼は、正解を当て続けることではなく、判断のプロセスを共有することで積み上がっていくものだと僕は感じています。
なぜ「正解を教える文化」が生まれるのか
僕自身、部下に正解を教えてしまうことがあります。正直に言えば、教えてしまいたくなる場面のほうが多いくらいです。忙しい現場で、「なぜそう思った?」「他にどんな選択肢を検討した?」と問いかけて待つのは時間がかかる。目の前に案件が積まれている中で、「こうしておいて」と答えを渡したほうがチームは早く回る。
これは個人の指導力の問題というより、「すぐに成果を出さなければならない」という組織の構造が生んでいる現象だと思うんですよね。短期の成果を優先する組織では、教えたほうが速い。でも、教え続けた組織は、教える人がいなくなった途端に判断力を失います。
即効性と育成のバランスをどこに置くかは簡単に答えの出る話ではないけれど、少なくとも「答えを渡すことが育成だ」と思い込んでいるとしたら、そこは立ち止まって考える価値があります。
正解を探す時間を、判断基準をつくる時間に
広告運用に正解はない。でも、不正解はある。判断のプロセスは積み上げていける。そしてそのプロセスをクライアントと共有できたとき、「正解を当てる人」ではなく「一緒に考えられる人」として信頼されます。
うまく言語化できている自信はないのですが、「正解を知っている人」が強いのではなく、「正解がない中で動ける人」が強い。広告運用とは結局、そういう仕事なのかもしれません。